サマサマレーシア

意識低い系マレーシア生活

ウルトラ爺の話

武漢肺炎の制限の終わりぐらいに日本に帰国した時の話。下書きに入れておいて、今ごろ蒸し返すという。敢えて熟成させていたともいう。

 

このときは成田着。
今から思うと陰性証明だとか、飛行機チェックインもアプリにワクチン接種して規定回数入れておけとか、あと忘れたけどいろいろあった。確か接種回数コンプリート画面は黄色くないとだめなんだよな。

 

けっこうスカスカな直行便で帰って、成田にやっとついて隔離が廃止されたばかりで、でも入国審査までまあまあ緊張感あった。

 

しかし今考えると陰性証明ってくっそ値段高かったな。

いい年こいた自分に「くっそ」と言わせてしまうぐらいには高かった。

 

さてあと少しで入国審査というところで、どっかの国から帰国した爺さんが空港職員とめちゃくちゃ揉めていた。なんと陰性証明を取得せず日本へ帰国してしまったらしい。まさかの手ぶら。

 

しかも入国審査以前に問題なのに「もうね、外で荷物がぐるぐる回ってるの!だからそれ先に取りに行かせてくれたらまたここに戻ってくるから!」「いえ、ワクチン接種証明をお持ちでないと」「だから荷物だけ取りに行かせてって言ってるの!!!」とという押し問答が耳に入ってくる。

爺さんはこっちがゲシュタルト崩壊おこすような論理をぶっ放していた。

 

おいおいおい、入国審査終わってループコンベアで荷物ピックアップだよ。

しかも入国したら絶対に戻ってここまで戻ってこれないよ。

ここは制限区域といってざっくりいうとまだ日本国内じゃなんだからな。

 

まだまだ武漢肺炎が終息していたとは言い切れないし、海外住んでいたら帰国条件が二転三転するのを鬼検索して整えていたころだ。

そしてそれが一時帰国となると、私の場合は「マレーシアに再入国するのに必要な条件」とか毎日のように検索するのがルーティンになっていたころだ。

 

そんな状況下のもと、お爺さんまさかのノーガード戦法で帰国。

ならば隔離とかになるわけだが、そんな人が「ああ、そうですか」となるわけにはいかない。

このような事案が多発したのか、それともこの情報戦の時代にレアケースであったのか知ったこっちゃないが、野次馬根性丸出しな性分なのでその後どうなったか気になって今でも思い出すのでこうして書いている次第。